海外旅行へ出るキッカケとなった出来事です。
◆はじめに
誰もが海外へ出るキッカケがあると思う。時代や年齢によって大きく変わってくるはずだ。何か理由がないと海外へは出ない。人それぞれのキッカケを知るのは面白いし、「そうなんだ」と頷いてしまう。
今まで僕が海外へ出たキッカケを文章化したことは殆どなかった。
ここでは僕が海外旅行に目覚めた瞬間を文字にしてみる。
◆目覚めた瞬間
場所はシンガポール。2010年の1月のことだ。高校の修学旅行でシンガポールを訪れた僕。海外は殆ど初めてであったので凄く楽しみであった。
修学旅行ということもあり、旅行形態は団体ツアーだ。ツアーバスで移動し、皆でご飯を食べて、夜はホテルに缶詰。高校で海外ということもあるので、ある程度縛られることは仕方がない。
自分は団体行動が苦手なので、ある程度制限されていることが少しばかり苦痛であった。
「もっと色んなところを見たい」。そういう思いが自分の中に出てきた。
自由になる時はきた。市内観光で朝にマーライオンに行った時。トイレやお土産休憩を含めて15分の自由時間ができた。
「このタイミングを逃してはならない」と思った僕は、団体を抜け出し街中へ飛び出した。マーライオン周辺はビルで溢れている。朝の通勤ラッシュが収まり、少し落ち着く時間帯。
思うように街を散策してみる。「あんま東京と変わらないな」と思いながら、バス停に寄ってみた。そして僕は驚いた。
17歳、海外は小学生の時のアメリカだけ。世界を全然知らない時代だ。
バスに乗るとき、写真のように手を横に出して止めていた。これを最初見たとき「うそ」と感じた。日本ではバス停に人がいれば、何もせずにバスが止まってくれる。乗らなくても止まる。
これで育っていたので、国による違いを発見した時に驚きを隠せなかった。この光景にハマった僕は、少しの間バス停に立ち止まり、バスを止めるシンガポール人を見ていた。
今では手をあげて止めるのは当たり前の光景、むしろ海外でやらないと「なんで」と思ってしまうぐらい。17歳の僕には新鮮だったのだ。
日本とは異なる海外文化。それを知ってから僕は全ての景色を目で追うようになった。「日本と違うものはあるのか」。全ての物事に興味を持った。
僕が好きな自動車、日本では見慣れない車が走っている。それがヒュンダイだ。今となってはヒュンダイは当たり前の存在、ここが初めての出会いだ。
シンガポールではタクシーに主に使われているけど、「韓国車って何だ!?」と感じていた。
日本で韓国車を見ることなんてほぼないので、当然知らないわけだ。よく知らない”H”というエンブレムの車が走っているので、何なんだコレはと疑問に思い調べた。旅で勉強することはこういうことだろう。興味を持って調べて、知識が身に着く。
東京にいる限り荷台に人が乗る光景は見れない。違反となるからだ。そして中国系以外のシンガポール人。インド系の移民労働者だ。当然その時はそんなことを知るはずもなかった。
様々な人種がいる世界、そして地域、ご飯の匂い。言葉で説明するのは難しいけど、その場の空気が凄く刺激的であったのは覚えている。
「こんな世界があるのか」と思っていた。
マンションに物干し竿を出して洗濯物を干している。この景色を見た瞬間、カメラを取り出し写真を撮っていた。「なんじゃこりゃ」という印象が強い。
洗濯物落ちちゃうんじゃないのか、と心配するほど。よく干すなと感心していた。日本とは違う生活スタイル、地元民の生活にも関心を持った。
5日間過ごしたシンガポール、旅行を終えた僕は「もっと他の世界を見てみたい」と思っていた。修学旅行で縛られていたことが、大きく反動となったのだろう。
今までは国内を周遊していた僕だけど、これを機に興味のベクトルが海外へと向いた。
◆その後の行動
まずは海外旅行のことについて調べ始めた。海外を旅する人のブログを見て「こういう国があるんだ!」などなど知るようになり、そして興味を持った。高校3年生になる頃には海外旅行計画を始め、夏休みになると一人で韓国を旅した。
勉強になることもあったし、文化の違いを学び、言葉の大事さを身に付かせ。海外というフィールドでどんどん学ぶようになった。
今となっては海外旅行は当たり前、普通の感覚だけど、当時の僕からすれば一大イベント。最初はつまづいたけど、一人で全ての物事を処理していくうちに、旅勘が染みつくようになっていた。
僕は大学の附属校だったので受験はない。大学にも進学が決まっている、大学生活のビジョンが見えていたので、長期休みの旅行計画をしていたほどだ。
なので、1年の夏にバックパック背負ってヨーロッパに行ったし、冬にはアジア周遊したし、2年になるとトマティーナとか行ったし。高校の時は「2年の冬は南米だな」と思っていたけど、結局世界一周したし。
色んな世界を見て楽しんだ。様々な”選択”をした結果が今に繋がっているわけだ。
◆おわりに
シンガポールで経験したことが、今の僕へと繋がっている。もし、修学旅行を他の場所を選んでいたら今の僕はなかっただろう。野球しか見ていない大学生活だったかもしれない。
何事も興味を持つこと。あの時、何も思っていなければ旅に出ることはなかっただろう。中学受験を成功し、高校にそのままエスカレーター、そしてシンガポールを修学旅行で選んだのは間違いではなかった。
一つだけ、旅に出て後悔したことは、中高の英語教育をサボってしまったことだ。
当時の僕に一言声を掛けるならば「文法はいいから、英会話を身につけろ」と残したい。
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