カンパラからバスで到着した僕は、キガリの美しい街並みに驚いた。
2013年6月 1ルワンダフラン(RWF):約0.15円
カンパラから夜行バスで12時間、ルワンダの首都・キガリに到着した僕は早速街歩きを慣行した。
◆驚くほど綺麗なキガリの街
キガリの中心部に来て僕は驚いた。「ゴミが一つも落ちていない・・・」。
ウガンダやエチオピアなど、そこら辺にゴミが落ちているのが当たり前だった。そのためルワンダも「ゴミあるだろうな」と思っていただけに、衝撃を受けてしまった。
↑美しい噴水
どうやら住民による清掃活動が行われているようだ。それ故、ゴミが落ちていない景色に。
おまけに、ルワンダの環境保護条例で「ビニール袋やポリ袋の持ち込み禁止」が定められている。
なので入国する時は、ビニール袋を持っているか、いないかという持ち込み検査が行われる。
検査は緩い部分もあるので隠し通すことはできたが、スーパーでもビニール袋はもらえず紙袋が基本だ。
◆「アフリカの奇跡」―悲しい過去からの復活―
↑キガリのジェノサイドミュージアム
1994年、この国では虐殺が始まった。
そして、3か月の間に100万人の人々が殺された。
他のジェノサイドと違うところが、「一般市民が一般市民を殺害した」ことである。…
昨日まで仲の良い隣人同士が、翌日にはお互いを殺戮し合う関係・・・
考えるだけで震えてしまう出来事だ。
キガリに滞在中、周辺にあるジェノサイドミュージアムへ行ってみた。
ルワンダを語る上で、この忌々しい過去は切っても話せない。
↑Ntarama(ンタラマ)教会。
この教会はツチ族の避難所となっていた場所。教会内は安全な場所であったが、虐殺終盤の94年になると教会も標的となってしまった。
多くの女性や子どもが避難していたが、彼女らも被害に。屋内には小さい頭蓋骨や服などが散乱している。
そして、生々しい血の跡が壁についていた。
↑犠牲者の名前
虐殺の過去を持つ今、人々は前へ向かって生活している。
民族の区別もなくし立ち直ろうと。
人を見ると「この人は刃物を持って・・・」「肉親を亡くしているのでは・・・」とたまに考えてしまうこともある。
↑「ホテル・ルワンダ」の舞台になった「オテル・デ・ミル・コリン」
当時一緒に旅をしていた友達に教えてもらい、ルワンダに16年住んでいる女性の方と話をすることができた。
その中の1つだけを紹介する。
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Q ルワンダ国民の今の感情は?
A 私が見てきた範囲内で答えると、
約35年間民族対立(ツチ族、フン族)をしていて、
人々の中で相手を憎む対立があったけど、対立原因の1つに植民地の問題があった。少なくとも、自分らの責任ではないと思う人もいる。
被害者、加害者の一般市民も大変。お互いに「自分の生活を立て直したい」という思いも出てくる。
精神的に自分自身の生活を向上、小さなことからコツコツと。
国としてもまずは目に見えるインフラ整備から。
国民の中でも憎しみ合うことは疲れるし、もうやりたくない。自分たちは殺したいと思って殺しているわけではないから。
国としても国民としても持つ気持ちは一緒。
それがマッチして今の綺麗なルワンダが出来上がっていった。
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◆「千の丘の国」
ルワンダは「千の丘の国」と呼ばれるほど、小さな山や丘がたくさんある。首都キガリも例外ではなく、緑が美しい丘の上に家々が立ち並ぶ。
↑奥に見えるキガリタワーはルワンダ発展の象徴
◆治安が良いキガリの街
キガリに入って驚いたのはゴミがないことに加えて、治安が良いところだ。
犯罪が起こりそうな雰囲気が一つもない。ゴミがないことで、犯罪発生率も下げているのだろうけど、安心して街を歩けることに感動した。
↑夜でも安全
↑丘の上から夜景を眺める
◆おわりに
キガリの街を歩いているだけでは、20年前に虐殺をしていたとは思えないほどの景色だ。
国民一人一人が立ち直ろうとして、道を歩みつつある。現在のルワンダは経済発展が目まぐるしい。僕はその発展段階中の時に訪れた。
現地に住む人の話、そして歴史の認識。ルワンダにて貴重な体験をすることが出来たことを幸せに思う。
ナイス!この記事いずれ頂戴します!