観光客が訪れないドバイの側面をご紹介します。
2014年
◆はじめに
世界の金持ち都市、UAEのドバイ。世界中からビジネスマンや観光客、労働者が集まってくる。
日本人がドバイに訪問する目的としては、ビジネス以外だと「観光」や「リゾート」が挙げられるだろう。
どちらかというと、節約旅行よりかは裕福なスタイルなはずだ。良いホテルに泊まり、ドバイモールを歩き、バージュ・ハリファの屋上へ行く。そして砂漠ツアーへ―。
これが一般的なはずだ。僕も出来ればこういう旅行をしたい。
今までに2回訪れた。だが、こんなリッチな旅行は出来るはずでもなく。ということで、現地の労働者に近い生活を送っていた。
ドバイで貧乏生活、日本人からしたら考えられないだろう。だが、これも実は面白い。イメージしているドバイの裏の顔をのぞくことができる。それに尽きる。
今回は路線バスで訪れたドバイの知られざる姿として、インド人が集まる工業地帯をご紹介する。
◆ドバイの路線バス
以前、ドバイの路線バスを紹介した。
【UAE】 ドバイを賢く移動するなら「路線バス」を使え! – El Mundo
1日14DHという上限を上手く使い、事ある度に路線バスへ乗車した。観光名所へはドバイメトロが通っているので、普通は路線バスを使うことはない。
何故ならば、ドバイメトロが通ったところに観光名所を立てる、もしくはその逆だからだ。そしてタクシーが安くて安全なので、普通はそちらを使う。
とはいえ、ドバイの面白みは路線バスに詰まっている。路線図をにらめっこしながら、興味がありそうな場所にはバスで向かった。バス社会なので、本数も多い。
僕が目につけたのは、ドバイの西側にある「Jebel Ali」という場所。一体何があるのか、という好奇心からGold Souq バスターミナルから91Aのバスに飛び乗った。
◆世界の車窓から
車内を見渡すと、インド系の人ばかりだ。殆どが男性なのだが、民族衣装を着た女性の姿も前にいる。
現地の”UAE人”はいる気配はない。1人ポツンとアジア系の僕、しかし周囲の反応は意外と薄い。関心もなければ、声を掛けられることも。僕が溶け込んでいるのか、それとも興味がないのか―。
そんな中、バスはハイウェイと入っていく。そうだ、始発を出発していくつか止まった後はジュベル・アリまでノンストップなのである。
外からドバイの街並みを眺める。普段はドバイメトロから高い位置で見ているのだが、道路目線は初めて。これはこれで新鮮だ。
写真を収める。周囲のインド系の人々は、音楽を聞いたり、スマホいじったり、寝ていたり―。いつもの光景として過ごしている。
僕は一体どこへ向かっているのだろうか。
◆ジュベル・アリ
観光気分に浸りながらも、どこにいつ着くのか気になってきた。勢いで飛び乗ったのはいいものの、その後のことは全く考えていなかったのである。
とはいえ、ここはドバイ。英語も通じるし、最悪このバスで折り返せば中心には帰ってこれる。おまけにタクシーも安いので、何とかなるだろと考えていた。
30分ほど経ったところで、バスはハイウェイを降りる。
目の前に見えるのはクレーンやコンテナ、そして夕日に照らされている海の姿。段々と「終着地」へ向かっているようであった。
そこから5分。砂の上には大きなコンテナが積み上げられている。するとバスが停車した。前を見ると検問所のようなところである。
「まさか」と思う瞬間に、軍のような格好をした係員が車内へ乗り込んできた。周りの人は身分証明書を出している。
「こんなこととは・・・」。ここで降りるわけにも行かないし、一か八かパスポートを出そうとした。
すると・・・。係員は僕に見向きをせず、横を通り過ぎていった。少し拍子抜けした。僕のことを見えていないのか、チャイニーズだと思い無視したのか。
とはいえ、まさかの形で「ゾーン」へ入ることができた。
後々調べてみるとここは「フリーゾーン」みたいである。ドバイの経済特区・ジュベルアリ。税金がタダ。通りでコンテナなどが山積みされているわけだ。ここに置いておけばお金を取られることはないから。
そしてここに住むのは、港やプラントなどで仕事をする人たち。つまりはブルーカラーの人々である。インド系中心なのも納得だ。
僕はマネージャーとして見られていた可能性も。中国系企業の。
wikipediaを読むとこんな文章があった。
——
1960年代末から1972年にかけてドバイ中心部近くに建設した人工港・ラーシド港が成功を収めたドバイは、1970年代末からジュベル・アリ地区の海岸に新たな掘り込み式の人工港を建設し始めた。ジュベル・アリの町は1977年に建設され、当初は港湾の建設作業員である南アジアなどからの移民が主に住む寒村であった。
——
この名残が今でも残っているのだろう。ドバイの現場を支える移民達。現にフリーゾーンからバスに乗る人たちは、作業着を身に付けた人たちであった。
一仕事終えたのだろう、タオルは少し黄ばみ、ブルーの作業着は深い色に染まっていた。片手には水を持っている。
僕は今まで、冷房の中で民族衣装を着たドバイ人が優雅に過ごす姿しか見ていなかった。
これが「ドバイ」の姿でもあるが、灼熱の中で作業着を着たインド人が仕事する姿も「ドバイ」の姿である。
日本人が知らないドバイの姿。頭の片隅にはあったけど、いざ現場を見て現実を知ると考え深くなってくる。
もちろんドバイ生まれドバイ育ちの人もいるはずだ。だが、家族で国から移住している人もいるだろうし、女房子ども食わせるため送金している人もいる。こういう背景を気にすると「何か出来ることはないのか」と考えてしまう。
このフリーゾーン内ではカメラを出すようなことはしなかった。カメラを出す暇もないほど興味深い景色が僕の目の前に広がっていたのだ。
彼らを撮影したら失礼だ。そして港だ、安易にカメラを出せるわけがない。
あちこちに停車しながら、現地人がバスを降りていく。そこにはスーパーやアパートが建ち並び、一つの街を形成していた。僕も降りて歩こうかな、と考えたのだが、特殊な空気が流れていたので、立ち寄ることはやめた。
中心地を出発して50分ほど。バスは終点のジュベル・アリバスターミナルに到着する。
バスを降りる。ムッとした熱気を浴びる。僕のメガネは曇る。インド系の人たちは、各々家へ向かっていく。
僕はどうしようか、と考えた。彼らのコミュニティを覗く考えもあった。だが上記にあるように、結構特殊な雰囲気なので、やめることにした。
しかし、僕を動かせない一番の要因は「暑さ」だ。訪れたのは8月。日中は50度近くまで気温が昇る。おまけに湿度も高いので、まさに生き地獄。歩く気力を無くすほどだ。
日も傾いてきた頃。ということで、来たバスに再び乗った。
メトロのジュベル・アリ駅に出たい、と考えていたけど、バスの本数があまりにも少ないので、 ディラ地区へと引き返す。
冷房が効いた車内、インド系の人々は「日常」として過ごしている。
コンテナやプラントが見えていた車窓、ハイウェイに入ると高層アパートやビルの絵に変わっていく。その風景が変化するのも湾岸諸国らしい。
うとうとしていたら91Aバスは終点のGold Souq バスターミナルに着いた。浅黒い肌をした人たちと共に混沌とする路地へと向かった。
◆おわりに
今回は日本人が知らないドバイの「裏」の姿を紹介した。決して全てが華やかではない。観光客が楽に旅行できるのも、彼らの「汗」によって成り立っている。
僕も興味本位でバスに乗らなければ、こういうエリアがあることは知らなかった。冷やかしで訪れるのはあまりオススメはしないけど、エスニックコミュニティに興味がある人は行ってみると勉強になるかもしれない。
どんどん拡大していくドバイの姿。それには移民の人たちが大きな貢献をしているということを忘れないでもらいたい。
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