【ガーナ】アクラの野口英世記念館に行ってみた。

アクラのコレブ病院の中にある「野口英世 メモリアル」に訪れてみました。

2016年3月 1セディ=約30円

◆はじめに

アクラに訪れた際に是非いってみたい場所があった。それがコレブ病院の中にある「野口英世メモリアルラボ」と「日本庭園」であった。

1,000円札の顔になり、遠く離れた地で世の中の人を救う研究を行っていた野口、一体どのような場所だったのだろうか。コレブ病院に訪れた。

◆研究所までの道

アクセスは簡単と言えば簡単、複雑と言えば複雑である。
コレブ病院(Korle Bu)は以下の場所にある。

タクシー、トロトロどちらでもアクセスが可能だ。
僕は「Nkrumah Circle」(通称サークル)周辺に宿泊していたので、サークル西側のトロトロターミナルから、「コレブ」行きに乗って、病院の前に降ろしてもらった。1.8セディ(約54円)。

病院の前。「Korle Bu Teaching Hospital」と書いてある。
病院の中には出入り自由、Harley Stという目印があるのでそこの入口から入ろう。

中に入ると、目の前に「Emergency」と赤く書かれた建物があり、道が二手に分かれていく。
ラボは左手、道なりに進んでいけばOKだ。

ちょっと進むとこのような建物が左手に見えて、その道はタクシーの止まり場になっている。

この次の交差点を右折する。
そして30メートルほど進んだ左側にこのような建物が見える。

ここの中に入り、見学の旨を伝える。
そして5セディ(約150円)を支払い、どうやら建物維持費に使われるようだ。というか、5セディで大丈夫?と思ってしまった。

ちょっと待ってると係の人が研究所&日本庭園へと案内してくれる。

◆研究所

研究所はこの白い建物の一室にある。
久々に部屋を開けたようで、中に入ると熱気とホコリ、そしてちょっとカビくさい臭いが鼻につく。

「ここが研究所か…」。当時のまま残されており、建物はとても古い。今でも学生たちの実験の場として使用されており、古いながらも、最近人が使った形跡は残されていた。

壁には野口英世の簡単な半生が絵にかかれており、これだけを見ると苦労したようには思えない。

研究所の中にある小部屋に入ると、野口英世関連のものが沢山置いてある。

銅像や野口が巡った国、「忍耐」と書かれた巻物、新聞や家族の写真など。

こうやって見ると、野口英世が色々な国へと訪れていたことがわかる。
北米やヨーロッパに限らず、中南米にも行っていたとは。
今なら楽だけど、彼が生きていた1900年代初頭だと、インフラ面に関しては全くであっただろう。
過酷な旅であったに違いない。あまり凄いとは使いたくないけど、「すごいな…」と思ってしまった。

野口英世の死去の様子はニューヨークタイムズにも掲載されるほど。しかも死んで翌日という報道の速さだ。

野口は黄熱病で亡くなったのは周知の事実だが、亡くなるまでの体温の推移が載っていた。
彼はガーナではなく、ナイジェリアで黄熱病にかかった。亡くなったのがガーナというだけである。
これを見て驚いたのが、急に体温が上がって亡くなったということだ。
ずっと高熱が続いていたかと思ったがそうではない、36度~36.5度を行き来し、亡くなる直前にぐーっと上がっていった。

野口英世の写真を見ていると、左手を出していないことが分かる。これは彼が幼少気に火傷したことによるが、後に回復したそうだ。
もし野口が火傷を追わなかったら、彼は百姓として生きており、医学の道には進まなかったに違いない。
人生、どう転ぶか分かったものではないなと実感した。

野口英世の顔、僕は1,000円札や良く出るイメージ写真しか見たことなかったんだけど、角度を変えるとちょっと違うような顔になる。

なんやかんなで30分弱見ていたようだ。先日の杉原千畝氏もそうだが、昔の時代に海外でご活躍されていたというのは、日本人にとって誇り高きものである。
今のガーナと日本の友好関係もこの野口氏のおかげでもあるだろう。

ちなみにこの研究所には小泉元首相や皇太子も来ており、著名な方々も見られている。

◆日本庭園

研究所の裏側に野口氏の功績を記念した日本庭園がある。
門には鍵がかかっているので、係員さんが空けてくれる。

野口氏の銅像、忍耐と書かれた石碑がある。
つい最近作られたものかと勝手に想像していたが、1962年に出来たということに驚いた。
おまけに2011年には手入れをしたとのこと。

しかし現状は雑草が荒れて、手入れがなさらていない様子だ。
日給を出してくれたら、僕手入れするのになと心の中で思ってしまった。

奥には小屋がある。全体的にはこじんまりしていて、日本庭園ぽくはない。

暑いので長居はせず、見学を終えた。
スタッフに礼をいい、病院をあとにした。

◆おわりに

アクラの野口英世研究所と日本庭園を見学した。
設備維持のためなら5セディは笑うし、昔の彼の功績を知れたのと、新たな知見を得ることができた。

アクセスはサークルからなら簡単だが、他のエリアはどうだろうか。分からない人はタクシーを使うのが無難であろう。

アクラに訪れた際は是非立ち寄ってみてはどうだろうか。

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1 個のコメント

  • […] さて、前回は記念館までたどり着いたけど肝心のカギが開いていなくてあきらめたのですが、今回は行き方を親切に紹介して下さっているこちらのブログ記事を参考にして行きました。[外部リンク]【ガーナ】アクラの野口英世記念館に行ってみた。 […]