【リトアニア】カウナス:杉原千畝のゆかりの地を巡る旅。

カウナスにて、杉原氏のゆかりの地を巡ってきました。

2016年2月 1ユーロ=約133円

◆はじめに

バルト三国を周遊する際、是非訪れてみたい地があった。それがリトアニアのカウナスだ。
教科書や映画で知った杉原千畝という人。日本人として知っておきたい出来事があった。
ようやく願いが叶い、僕はカウナスの地に訪れることができた。
◆杉原千畝という人

僕が杉原千畝という人を知ったのはいつだっただろうか。確か中学の授業で名前が出てきて、覚えた記憶がある。
正確に彼の功績を知りえたのが、高校の時だ。授業で『シンドラーのリスト』を見て、その流れで「日本のシンドラー」こと杉原氏の行動をみた。
その時に僕は感銘を受けた、一人の外交官ではなく一人の人間に理性が働いたこと。日本人として誇りに思った瞬間だ。

そしてリトアニアに来る前。
ちょうど唐沢寿明主演で『杉原千畝』という映画が公開されたので、映画館で見てきた。
彼の功績を見ると同時に、戦争の悲惨さ、杉原氏を取り巻く環境を知れた。映像なのでとてもわかりやすく、個人的には感動したのだ。
また僕が4月から働いている企業の社員が、この一連の流れに関わっていることも知れて、より誇りに感じた。

www.sugihara-chiune.jp

この映画から知りえた新たな知見としては、
・VISAを発給したのは「2,136枚」。
・子孫を含めると約4万人以上を杉原氏は助けた
・領事館に限らず、ホテル、カウナス駅で出発の直前までビザを発給
・オランダがフィリップスを戦前には進出しており、領事館がフィリップスの支社と兼任していたこと
・オランダのヤン・ツバルテンディク名誉領事がビザを出さなければ、この一連の流れにはならなかったこと
・オランダ領キュラソー島とスリナムを目的地としたこと
・最初はビザ発給に杉原氏が懐疑的だったこと
・ウラジオストクから敦賀までの船にJTBの社員が関わっていたこと(JTBは元々インバウンドを目的に設立された企業)
・杉原氏の後輩である根井三郎氏がウラジオストクにいなければ、ユダヤ人が日本には来れなかったこと
・ビザの一件があっても外務省からクビにならなかったこと(ルーマニア駐在は左遷のような形か)
・杉原氏が日本の「敗戦」を予想していたこと
というところだろうか。
ユダヤが迫害されていることや、いかに酷いことをされていたか、ということはアウシュヴィッツに訪れて、実際にこの目で確認してきた。
なので映画を見る際にもすんなりストーリーが入ってきたので、問題はなかった。
日本人として誇りに思う杉原氏の行動、そして周囲の人の協力。杉原氏一人ではユダヤ難民を助けることはできなかったはずだ。
このような「偶然」も重なり、多くの人が助けられたのだろう。
カウナスでは杉原氏を巡る旅を行った。
◆カウナスを巡る
・カウナス駅
カウナス駅のホーム側には杉原氏のプレートがある。つい最近のようだ。
杉原氏とカウナス駅の関わりは、杉原氏がリトアニアからドイツへ移動する際、カウナス駅で汽車が発車する直前まで「命のビザ」を発給し続けた。
そのことが大きい、映画でも唐沢寿明演じる杉原千畝がビザを出していた。
・杉原記念館
カウナス駅から歩いて10分、高台の高級住宅街に旧日本領事館はある。
訪れた当日が日曜ということでまさかの休業日であったが、この地で杉原氏は国の指令に反して、ビザを発給した。
もうかなり昔ではあるが、ここで歴史的な出来事があったかと思うと、じーんと来るものがあった。
・メトロポリスホテル
カウナスの中心地近くにメトロポリスというホテルがある。
日本領事館が閉鎖された時、領事館の機能をメトロポリスホテルへ移した。その時に杉原氏はここでもビザを発給していたのだ。
流れとしては、
日本領事館→メトロポリスホテル→カウナス駅という順番でビザを発給していた。
◆おわりに
杉原氏ゆかりの地カウナスを巡った。
日本国民として、このように沢山の人命を救ったことは誇りに思うと同時に、
当時のソ連やナチスがしていたことがとても非情であるということを感じた。
もちろん日本も虐殺などの事実はあったりするので、こちらも非人道的ではあるが。
戦争という悲惨さ、リトアニアの地で感じた。

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