【沿ドニエストル】 現代に生き残る「ソ連」に行く

現代に生き残る「ソ連」へ行ってみました。

2013年7月 1レウ=約8円 1レウ=0.86ルーブル

はじめに

世界には200近い国が存在し、各々が政府を立て「国」として存続が続いている。多くの世界的な歴史を経て今の国家があるのだが、少しの温度差によってズレが生じることもある。

「未承認国家」と言われる国が世界にはいくつもある。歴史を遡ると悲しい過去もあるのだが、「自分たちは国だ!」と言い張るが国連や他国からは承認されていない国。

マイナーな国に興味がある僕は、未承認国家に興味深々であった。

するとモルドバから日帰りできる場所に「沿ドニエストル共和国」という未承認国があり、それが何と現代に生き残る「ソ連」だというのだ。僕はソ連を知らない世代、一体どういうところなのか、早速向かってみた。

沿ドニエストルとは

(上写真:wikipediaより引用)

1991年にソビエト連邦は崩壊した。
しかし、「私たちの気持ちはソ連!」という地域がある。
それが、沿ドニエストル共和国なのだ。一応モルドバ共和国内に位置する。

 歴史的背景

モルドバはソ連の一員であったが、ソ連崩壊と同時に独立した。
モルドバという国は国旗や言語を見ても分かるように、ルーマニアと近いものを持っている。
ソ連のメンバーであったため、ロシア系の住民もいるが、多くはルーマニア系の人々だ。

崩壊直前、沿ドニエストルにいたロシア系の人々は、ルーマニア系の人々に支配されることを嫌がった。

※以下想像※
「今まで俺らが上に居たのに、下層になるのは無理!」
「ソ連にいたいー!あんな3色旗嫌だ!」
「そうか、独立すればソ連を保てるのか!」
「よーし、友達とかロシア系の人に電話かけまくって、同志を集めよう!」

ということで、独立を目指し、
1990年に「沿ドニエストル共和国」として独立を宣言した。

しかし、モルドバからすればたまったもんじゃない。
当然独立を認めることはなく、両者は譲らぬまま。
そして1992年にはトランスニストリア戦争が起こった。

だが、できたてホヤホヤのモルドバ軍とロシアの支援を受けている沿ドニエストル側では話にならず、わずか2か月で休戦協定を結び、沿ドニエストル共和国は事実上の独立状態となった。

この国、自称国家ではあるが、国旗、政府、議会、軍隊、警察、通貨などを持ちほぼ独立国状態。おまけにGDPもモルドバより上。物価も少しだけモルドバより高い。
ソ連時代から工業地帯であり、農業を含めて生産量は多かった。そういうことも含めてモルドバは手放したくなかったのだ。

国際的に承認はされていないため、”モルドバの一部”とされている。バックアップをしているロシアでさえ承認はしていないが、アブハジア共和国と南オセチア共和国が承認しているのだ。
ちなみに、アブハジア共和国と南オセチア共和国も”自称国家”である。

アクセス&入国

沿ドニエストル共和国の首都・ティラスポリにはキシナウからマルシュルートカで向かうことができる。

中央バスターミナルの13番から出発。片道30レウ(240円)。13番近くのカウンターで購入する。英語通じない。20~30分に1本出ているので、そこまで時間は気にしなくてもいいだろう。

↑ベンツバスにはアルファベットで行き先が表示されている

キシナウを出発して1時間ほどで国境に到着する。

国境の状況を見て分かるように、モルドバ・ロシア・沿ドニエストル。3つの軍隊がいる。

なので3ヶ所でチェックを受けないといけない。

モルドバ側は自国であると言っているので、入国・出国手続きはない。スルーだ。

ロシアの平和維持軍は、お互いを監視する役目であるが、沿ドニエストル住民以外はパスポートチェックをする。車の中で見せるだけでよい。

↑国境。写真禁止。

そして、最後は悪名高き沿ドニエストルの役人。

多くの旅人が賄賂を要求され、一悶着あったとされる。緊張した様子で向かう。一応日本政府は国家承認していないので、何かあった場合は「自己責任」だ。

イミグレの中に入り、審査官から入国カードをもらう。それに書いてパスポートと共に提出。英語表記もあるので問題なし。

質問は、行先と滞在日数を聞かれるだけ。英語ができる審査官に出会うかは運次第。今回は英語話せる人でよかった。悪名高き賄賂はなかった。
スタンプは元々紙に押してあるので、審査官のサイン入り半紙をもらう(無くすとヤバい)。
その後、外で待ってる同じミニバスに乗り市内へ向かう。

↑これは大事に保管してよう。無くしたら大変。

“入国”から30分。雰囲気はキシナウとかと変化ないけど、街並みが現れると少しばかり様子が変わってきた。

古くて無機質なアパートが建ち並んでいる。僕が思い描くソ連の一部にそっくりなのだ。だんだんとテンションがあがってくる。

↑駅

ミニバスは何も言わないと終点の駅まで向かう。駅まで行ったほうが道を含めて分かりやすいので、ここまで行くのが無難だろう。帰りのバスもこの駅から出発する。

そこから中心通りまでは歩いて7,8分ほどだ。


↑駅からレーニン通りを下がっていけば、中心地に出る。

ソ連の雰囲気が残る街並み

夏のお昼。暑い。なんだろうか、凄くのんびりとした雰囲気が残る場所。時間がゆっくりと流れるような感覚だ。

アルファベットなんかない。殆どキリル文字。そして沿ドニエストルを示す国旗など。愛国心というか「私たちは特別です」という感じがあふれている。そうでないと自称国家はやっていけないのだろう。

ロシア語分からないから、何の施設かも把握していないんだけど、とりあえず国旗が書かれているような看板やオフィスは写真撮りまくっていた。

キロヴァ公園にある門みたいな建物。

この日は週末ではあったことからか、結婚式を挙げているカップルを一組みた。かなり豪勢に行っている。そういうスタイルなのだろう。

花嫁テンションあがってる。一生で一度の日だから仕方ない。

オンボロトロリーバスが健在。ソ連みたい。ティラスポリは元々ソ連の地方都市であったわけなので、ソ連で行っていた政策や雰囲気をそのままにしているのだろう。

車の量は少ないので、馬車も動ける。

独自の警察。VW。

レーニン通りから10月25日に入ると無駄にデカい建物が見えてくる。

それがソビエトの家だ。現在は市庁舎として使われている。The ソ連と言うような無機質でデカい建物。

レーニンがいる。現代では貴重な銅像。


↑場所この辺

ティラスポリの観光案内所とかはないし、街中に地図もおいてない。どうやら国家機密にあたるそうだ。だけど、googleでは出てくる不思議。ロンプラでも地図アリで紹介されている。

ソビエトの家前には、ドニエストル出身の偉人たちの写真が飾られている。こういうのも雰囲気あって好き。

時折出てくる”1792″という看板だが、ロシア帝国の軍人アレクサンドル・スヴォーロフによってティラスポリが建設され、1792年のヤシ条約により,現在の沿ドニエストルにあたる領土がオスマン・トルコからロシアへと割譲されたそうだ。

宇宙飛行士もいる。

右の人は前大統領。悪いことしそうな顔している。映画の見すぎかな。

反対側には役人(多分)の写真も。

昔流行った「美しすぎる議員」。ロシア顔してる。

銀行の広告。綺麗に沿ドニエストルの領土だけ。国の政策の一部だろう。縦に長いけど、首都ティラスポリ以外はどういうところなのか。ソ連の田舎がそのまま残っているのかもしれない。

緑も多い。

わざとだろうけど、時代を感じる広告。

構えは立派だけどボロい建物も多い。

何故か浜崎あゆみ。こっちの人知らないでしょ。

お互いが「国」として承認しているアブハジア共和国と南オセチア共和国の旗。領事館があるようだ。

10月25日は大通り。

側を流れるドニエストル川。暑さから多くの市民が水遊びを楽しんでいる。

政府庁舎前は「ここがソ連だったんだろうな」と感じる一番のポイントだろう。

戦車、無機質な大きな建物、広い道路など。こうやって残っているだけでもすごい。

多分争いごとのモニュメント。

スターリン・・・のわけないか。

ドニエストルに行ったならば是非見ておきたい政府庁舎。

そこに立つのはそう。

レーニンだ。近くで見ると作り方が荒いことが分かる。この世にレーニン像が立つ場所がどれくらいあるのだろうか。モルドバでもなく、ロシアでもなく、「ソ連」という言葉が似合う場所だ。

広告の作り方が面白い。

赤、緑、赤に加えて「鎌とハンマー」。
彼らのパスポートには鎌とハンマーに加えて「CCCP」(ソ連の略)の文字がある。

トロリーバスが走る広い10月25日通り。

街はしっかり区画整理されているので歩きやすい。ロンプラやgoogle先生の地図さえあれば迷うこともない。

ドニエストル建国の父・アレクサンドル・スヴォーロフ。街中の銅像、お札の顔に使われている。

ロシア正教会。中は入れないけど。

ドニエストル・ルーブル。ロシアルーブルとは違う。

この通貨は、ATMでは引き出せない。ATMで引き出せるのは、ロシアルーブルと米ドルのみ。

なので両替する必要がある。他国では両替できないので、必要最低限のみ換えよう。国外に出た途端に紙くずと化する。

もし飲食もせず一銭もお金を使わないなら両替する必要はない。

だいたいレートはどこも一緒。両替商は祝日とか関係なく空いている。

当時の両替レートは100モルドバ・レイ⇒86ドニエストル・ルーブル。

スポーツショップ。気をつけてほしいのが、この国で英語が通じるとは思わないでほしい。役人でさえ通じないのだ、現地人に通じるわけがない。というかソ連が英語を進んで教えるとは思わない。

若い人も壊滅的。ロシア語オンリー。訪れたのが週末だったので、殆どの個人商店が閉まっていた。というか食堂あるのか?というぐらい飯屋が少なかったレベル。

10月25日通りにあった”Andy Pizza”はファミレス店。メニューに写真と英語、値段が表記されているので分かりやすかった。

ピザが51Rなので、現地の物価からすれば少し高い。けど不安なくご飯を食べることができる。スタッフは若い人が多く、英語が通じた。

週末ということもあり、客は友達同士や家族など多かった。食の欧米化。実際アメリカ資本入っていたりしているので、そこまでアメリカとかに抵抗はないのだろう。市民レベルだとどちらにも対応できるように生活しているのではないかと考える。

今後このドニエストルがどうなるか分からないけど、もしロシアの一部となると生活も変わってくるだろう。若い人は外向き意識がありそうなので、若者流出にならないといいけど。

ドニエストル出国

帰りのミニバスも駅前から発車。チケットは駅構内で買う。おばちゃん英語通じず。

値段は39.2ドニエストル・ルーブルか44.9レイ。モルドバレイでも支払できるけど、行きよりも値段高い。

ガソリンスタンド。3種類の紙幣で払うことができる。値段はそこまで安くはない。

帰りの国境では、審査官がバスに乗りパスポートをチェックするだけ。外国人は半紙を渡すのみで終わり。実に簡単に終わる。

モルドバから日帰りなら問題ないけど、ドニエストルに滞在するなら色々と手続がいるみたいなので気をつけよう。

帰りのミニバスは、キシナウの好きなところで降ろしてくれる。Malldovaを途中通るので寄りたい人はいいだろう。終点は中央バスターミナル。所要1時間半。

 まとめ

ドニエストルに潜入してみたが、意外や意外、見る限りは普通の町であった。

まるでロシアの地方都市。西側資本もあるし、アメリカ資本もある。日本車も多く三菱の販売所も見たし、なぜかENEOSマークもあった。

意外と外国資本が入っているようだ。車は当然だけど。

なんだかゆっくりとした雰囲気。ソ連を知らない僕だけど、思い描くソ連の感じであった。

もしソ連が生き残り現代にあるなら、沿ドニエストルのような雰囲気なのだろう。
”幻のソ連”。いい経験をすることができた。

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4 件のコメント

  • 突然のメールにて、大変失礼致します。編集プロダクションに所属しております稲葉と申します。
    ただいま弊社では、「秘境国」「存在が謎の国」「へんな国境線・飛地」などのテーマに沿って、世界中の変わった国々を写真とともに紹介する書籍を制作中です。
    同書の中で、「沿ドニエストル共和国」を取り上げるのですが、お写真をご提供頂けませんでしょうかと思いご連絡差し上げました。ブログに掲載されているお写真を中心にお願いさせて頂けると大変ありがたいです。
    突然のご連絡、大変失礼致しました。
    ご検討のほどどぞよろしくお願い申し上げます。
    稲葉拝

  • >稲葉 様
    コメントありがとうございます。
    写真の件ですが問題ありません。詳しい話などはいかがなさいましょうか。
    宜しくお願いいたします。

  • ご返信下さり誠にありがとうございます。
    また、写真の件ご協力下さるとのこと重ねて御礼申し上げます。
    空メールで構いませんので、私のアドレスまでメールを頂けますと幸いです。
    どうぞよろしくお願い致します。

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