2018年12月 1USD=15ERN
「アフリカの北朝鮮」と言われるエリトリア。通算100ヵ国目と滞在となった。
アスマラに2泊したけども、皆さんがイメージする「国」の姿と全く異なるほど、素敵な街並みだった。
簡単にイメージしやすいように、アスマラの街について記しておきたい。
アスマラは約2,300mの高地に位置している。そのため朝晩は寒く、昼間は日差しがキツい。
街自体が発展したのは、1900年にイタリアの統治下(首都)に置かれてから。
ムッソリーニが第二のローマを目指したことで、1910~1930年代にイタリア人建築家たちにより、アール・デコ建築を主に建てられていった。
その後も大きな自然災害もなく、またエチオピアとの独立戦争時代も首都は占領されていて開発されなかった。
なので、今でも残っているのだ。イタリアの地方都市と思うぐらい。世界遺産にも登録されているため、エリトリア人の誇りでもある。
建築に興味がある人にはとても楽しいと思う。僕はそこまで建築については詳しくはないけど、街並みを見ていてかなり楽しかった。
アスマラの雰囲気を写真多めに紹介していきたい。
ちなみにアスマラ及びエリトリアについては、「エリトリア大使館」の公式HPに詳細に記載されている。
エリトリアの情報が殆どなかったので、日本語で詳しく書かれていたのはかなり役立った。
URL: http://www.eritreaembassy-japan.org/
アルマラ街歩き
大使館エリアを散策
朝3時に到着し、空港前のカフェで一夜を明かした。
朝6時半頃に、1番バスでホテルの近くまで向かい、ホテルにチェックイン。
昼以降に入れるとのことだったので、それまで少し散策することにした。
ホテルの朝ごはん。シンプルなアメリカンブレックファースト。オレンジのフレッシュジュースが美味かったな。
アスマラのタクシーは黄色。かなり目立つ。街中を走る車の1/3はタクシー。
個人で使う人は少なくて、シェアで乗る人が多い。
滞在していたクリスタルホテル(Crystal Hotel)の裏手にあるのが「Hamasien Hotel」。
山小屋風のかわいいホテル。イタリア植民地時代の1919年に建設された。アルベロベッロとは少し違うか。
1940年代には英国軍の本部として使われていたよう。
入口近くの庭は広い。ここで朝ごはんとか優雅だろうな。
そのまま通りを東に向かうと「旧スーダン大使館」がある。
昔はアスマラの市庁舎で、つい最近までスーダン大使館として使用されていた。
1936年より前に建てられたが、詳細な建築年数は不明とのこと。
旧スーダン大使館の目の前にあるのが、イタリア大使公邸。
警備員も居て、バシャバシャと写真は撮りにくい感じ。重厚感があるな。
南に進んでいくと、カタール大使館(もしかしたら大使公邸かも)。
ここはHPには記載がなかったけど、旧伊時代の建築に見える。
真ん中の塔とシンメトリーな外観は特徴的。
アスマラのストリート名は馴染み深いものもある。
記載もティグリニャ語とアラビア語、英語となる。ティグリニャ語は公用語でエチオピアのアムハラ語に近い。
タイルが張られたお家。グエル公園みたい。一般宅なんだろうけど、詳細は不明。
とあるストリートに入ると、日本国旗を発見。
何なんだろうと近づくと、領事館とのこと。
エリトリアには日本大使館はなくて、在ケニアの日本大使館が管轄している。
一応構えているんだな。他の国とかはビルの中にあったりするから、一軒家は立派だと思う。
スタジアムへ向かう
幼稚園の横を通過したけど、クオリティの高い壁の絵。
たいていお世辞にも上手いとは言えない作品が多いんだけど、ここはハイレベル。素敵。
アルファベット、ティグリニャ語、アラビア語で記載があるのがエリトリアらしい。
と思いきや、アフリカあるあるなミッキーさんに出会う。期待は裏切らない。
こういう絵タッチは僕は好きです。
こちらはアスマラの公共図書館。区民図書館みたいに小さい。
坂を上がる。後ろをふと振り返ると、時計台が。
高い建物が少ないから時計台が目印となる。「時計台が目印」ってロマンあるな。
かわいい建物を発見。これは売店。なんなのアスマラ、素敵すぎる。
近くにはモスクが。今後記載していくけど、中心部にはモスクとシナゴーグ、教会がかなり近い範囲で隣接しているエリアがある。
それだけ宗教対立していないということ。平和だ。でも政府が信仰できる宗教を制限しているんだけどね。なので「自由」はない。
手前ではエンストした車を戻している。
ビートル発見。
続いてフィアット500。ルパン。朽ちてるけど絵になるよな。時がストップしている。
Fenkil Stをスタジアム方面へ進んでいく。トヨタ・コマツ・ヤマハの代理店があった。
スタジアム前には「Housing and Commerce Bank」。比較的新しい建物。
この銀行の右手がスタジアムとなる。スタジアムというかは跡地?
スタジアム前からは空港へ向かう1番バスが発着。
古い赤いバスも走っている。だいたいアスマラのバスは目抜き通りの「Harnet Ave」を走る。
スタジアムの階段を上がり、裏手。赤茶けた土地が。
ところどころ見える高い建物は教会。こう見るとエリトリア正教が強いことが分かる。
スタジアムからHarnet Aveを。広いし、人が少ない。
壁紙。
エリトリアでも亡くなった人の情報が壁に貼られる。これは前にガーナで見たな。
途中で見かけた学校。「Scuole」と記載が。イタリア語だ。ここで伊の名残に遭遇。
ヤマハのバイクぽいのとトヨタぽいピックアップ。手作り感満載。
ポツンとヤシの木があるのもアスマラの街の特徴。
目抜き通り「Harnet Ave」
いよいよアスマラの目抜き通りである「Harnet Ave」(ハルネット通り)を散策する。
東西に走っており、長さも1kmないぐらいとかなり短い。東端から歩いていく。
イエメン航空のオフィス。現在は路線停止しているので、オフィスも動いていない。
イエメン航空は中々諸外国では見かけられない。
アスマラは自転車に乗る人が多くて、どこでも自転車を見かける。
2,000mの高地なので、良いトレーニングになる。現にロードレースに出る人も多く、賞を総なめすることも。
驚くのが自転車に鍵をしていない点。鍵を買うお金がないのか、盗まれない環境なのか、という論点は置いておこう。しかしここからでも治安が良いことが垣間見れる。
この建物は「Commercial Bank of Eritrea」。昔のローマ銀行。
1910年代に建てられた。
ここだけ見るとカリフォルニアみたい。サンタモニカかよ、と思うぐらい。
こちらはアスマラ市庁舎。1950年代に建てられているので、比較的この界隈では新しい。
裏手の劇場には1965年にエリザベス2世が訪れたとのこと。
裏路地。見切れているけど写真の右てがフィッシュマーケット。
アスマラのバス停。ちゃんと屋根が付いています。
バスはバス停でちゃんと停車するし、ドアもちゃんと閉める。
本数が少ないから混んでるのが難点だけど、他の国と比べるとちゃんとしているなと。
看板。良い。
シネマインペロ(Cinema Impero)。映画館だ。
なんかこの建物を見た時に「NYぽいな」と感じた。1930年代の建築。
イタリア人が台頭、同時期に建築ラッシュというのがあるのかな。
中に入ることはできなかったけど、趣あるよな。
エリトリア国旗と「Welcome to free Eritrea」と。本当に自由なんでしょうか。
アールデコ様式の建物。何気ない建物がそうだったりするんだよな。
建築好きな人だと止まらないかもしれないし、解説してほしいぐらい。
そしてアスマラ大聖堂。ここの時計塔がどこからでも見える。
ガイドの案内があれば時計塔に上れるぽいけど、期待はしないほうがいい。
イタリア植民地時代(1922年)に建てられて、エリトリア正教会ではなく、ローマカトリック。
なので他の教会とは雰囲気が異なる。
ミサの時間になると中に入ることができる。この時は夕方だったけど。
中はまさにカトリック教会。バチカンにいるような気持ちになる。
壁にはイタリア語の記載が。カテドラルが建てられた時に協力した人の名前だろう。歴史を伺える。
アスマラには信号がいくつかあるんだけど、動いていなかった。
電気が供給されていないのか、単に止めているのか。それでも支障がない交通量。
事故はあるらしいけど、穏やかな性格ということもあって、譲り合いがある。しかも歩行者優先。
周辺諸国などを経験したことがある人からすると「えっ!?」となるだろう。
ハーネット通りの西端にはアスマラシアターが。
1920年に建てられて、元々は劇場として使われていた。1930年代には映画館、今は劇場として使用。
階段を上がったところはカフェになっている。昼間に優雅にカプチーノ飲みながらのんびりしてみて。
レトロなポスト。
ハーネット通りが終わり、1本道を入ると「Cinema Odeon」が。
ここは今は使われていないんだけど、1930年代に建てられた映画館。
イタリア建築たち
ハーネット通りから裏に入る。「Nakfa Ave」にもイタリアな建築があるので注目だ。
先ずは「Albergo Italia」。
1899年に建てられた由緒ある石造建築物。
現在はホテルとして営業、1階は美味しいイタリアンレストランとなる。
このイタリアンレストランでご飯を食べたので、その様子は別途紹介したい。
真向かいにはアールデコな建物。
直ぐ横にはエリトリア銀行。
1900年前後に作られた。シンメトリーが特徴的。ムーア様式。
1930年代はイタリア銀行、エチオピア植民地時代は警察署、独立後はエリトリア銀行の本店という歴史。
また古い薬局もある。中は写真を撮っていないんだけど、ハリーポッターに出てきそうなぐらい趣があった。
そして中央郵便局広場。こう見るとハーネット通りは1930年代以降に立てらてたもの、つまりはイタリア植民地時代に整備されたところが多いけど、今紹介しているのはそれ以前のものが多い。昔はここが中心部だったのかな。
広場に面しているのが「Commercial Bank of Eritrea」。この建物のデータは把握できなかった。
この裏手に中央郵便局がある。中央郵便局も1900年前後に建てられている。
中も素敵な感じがしたんだけど、生憎閉まっていて入れず。
その横のアールデコぽい建築も気になった。
まとめ
アスマラの観光①。ここではイタリア建築を主に紹介してきた。
まだまだ伝えたいことがあるので、観光記事は続けていくので、乞うご期待していただきたい。
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