【シドニー】オーバーン:オーストラリア最大級のモスクに訪れる。

2019年5月 1AUD=約78円

オーストラリアは移民大国。ムスリムの移民も多い。
「オーストラリア=白人の世界」ではないということを、学生時代にフィールドワークで学んだ。
やはりイスラム系の住人が多いということは、少なからずモスクはあるということになる。

調べていく内にオーバーンにはオーストラリア最大とも言われるモスクがあることを知った。
考えると南半球でイスラム教の国は母体としてはそんなに多くはない。インドネシアが母数では多い。
なのでオーストラリア最大も中東エリアのモスクと比べると小さいだろうけど、気になったので見に行ってみた。

オーバーンという街

オーバーンはシドニー西部に位置する。
T1 / T2の「Auburn」駅が最寄りとなる。気を付けてほしいのがT1は快速で飛ばすので、通過することが多い。
よくあるのがRedfernを出たら、ストラスフィールド・パラマッタしか止まらないケース。
なのでこの場合は各停に乗るしかない。ストラスフィールドまで快速で先行しても各停に接続はしないので別物と考えよう。
関西の新快速と普通みたいなもんだろうか。別線路を走る。

セントラルからだと約30-40分程。駅を降りて、線路沿いに歩いていくとモスクに到着する。
このモスクはオスマン様式なのだが、このオーバーンという土地にムスリムが多いのか、何故にオスマン様式なのかということも簡単に紹介したい。
あくまでも本や英語の記事をgoogle翻訳にかけただけなので、間違った認識があれば申し訳ございません。

元々オーストラリアは「白豪主義」と呼ばれる白人への優遇政策を行っていた。
第二次世界大戦後は、イギリスやアイルランド系など旧宗主国系統の移民を募っていた。

その前も「ナタール形式」と言う試験を行っていた。
これは白人以外の有色人種には、欧州の言語から移民希望者の分からない言語(中国系がスペイン語とドイツ語を理解できても、フランス語で聞き取りするなど)で白人以外を入れないようにしていたのだ。

ただイギリス・アイルランド系の移民が減ってきたこともあり、労働者を受け入れたいオーストラリアは、同じ白人である東欧・南欧からの移民を募るようになった。
同じ肌をしているにに言語が通じない住人が増えたのである。これがオーストラリアの多様化の第一段階とも言われている。
東欧系は国が戦争中、又は祖国が社会主義体制で自国に留まりたくない、戻りたくないという理由で難民キャンプなどにいた人たちを呼び寄せた。オーストラリアからすると人口増加を図りたいので丁度良かったのである(言葉は悪いけど)。

この白人オンリーの中、ムスリムがどのように入ってきたのか。
東欧系の住人の流入が減少してきたタイミングで、オーストラリアは高度経済成長期を迎えたのだ。
労働者不足が顕著になり始める前に、政府は欧州の様々な国と提携し、渡航費用を支給して移住希望者を募った。
そこにトルコがあったのだ。トルコは1967年に提携を結んだ。

白豪主義の根本とも言われる「移民制限法」が1958年に廃止。
1959年に非欧州系の市民権取得が可能となっていたので、ムスリムが主であるトルコ系の住人も入ることができたのだ。

その後の宗教的な差異やアジア系の流入などもあるのだが、話は長くなるのでここまでにしておこう。
そのためトルコ系が入ってきたのは、今から50年近く前となり、かなり歴史は深い。

何故オーバーンという土地に住み着いたのかは定かではない。
このオーバーン市は2011年の国勢調査では、海外生まれの人口比が60%を超す自治体として知られている。
白人がマイノリティとなっているのだ。オーストラリア、特にシドニーではこういう土地は珍しくはない。

この背景を踏まえながら紹介していきたい。

豪州最大のモスク

トルコ系が多く、歴史も深いことを考えると、このオスマン様式なモスクが誕生したのも分かる気がする。
僕が日本で出会ったオーストラリア人のご夫妻もムスリムの方だった。
見た目は完璧に「トルコ系」、しかし出身地を聞くと「オーストラリア」と言うのだ。二世なのだろう。そこで僕の価値観が広がった瞬間でもあった。

中央ドームとミナレットを特徴とするオスマン様式の建築。
モスク名「Auburn Gallipoli Mosque」は第一次世界大戦中の「ガリポリの戦い」から。
オスマン帝国と連合国軍の戦いであったが、この連合国軍にはオーストラリアも参加していた。皮肉かな。

モスクのオープンは1979年11月3日。トルコと連携を始めて12年目となる。
ただこの外装は1986年に建設が始まり、1999年に完成というので、この見た目はかなり新しいことになる。
海外でこの規模のモスクは東京ジャーミィーとかあるけど、トルコ政府も建設に後押ししているとのこと。

金曜日に訪れたのだが、開放的で中に普通に入ることができた。
とてもウェルカムな雰囲気でお茶もどうぞと言ってもらえるほど。

お茶はセルフなんだけど、お世辞にも綺麗とは言えない給湯室だったので、飲まなかった。
住人がトルコ系が多いことからか、トルコ系の人ばかり。

トルコ語。意味調べたら断食時計。一番左の「imsak」は断食開始時間。

何か特別なものがあるわけではないんだけど、この南半球の地でこのようなモスクを見れるというのは特別な感じがする。


中の装飾は勿論美しい。

このモスクの近くにはトルコとアゼルバイジャンのカルチャーセンターもあった。
アゼルバイジャン系の住人もいるのか、面白い。

地図:Auburn Gallipoli Mosque

オーバーンを歩く

オーバーン駅周辺を散策することにした。
ちょうどラマダン時期ということもあり、ラマダンを祝うかのようなのぼりもあった。

オーバーン駅を挟んで北側と南側に分かれている。
南側の方が商業施設は多い。南側は主にイスラム系の店が多い。トルコがメイン。
反対に北側は華僑など。広東と北京が混じってるけど昔ながらは広東や福建。やっぱ飲食店や食品系、旅行や不動産が多い。
駅周辺は人が多いけど少し外れると住宅街、治安は悪くないように見えるけど夜や人通りがないところは避けたいところだ。

以前は「Mado Cafe」の支店もオーバーンにあったとのこと。
トルコのファミレスなんだけど、これを聞くとトルコ系が多かったことがよくわかる。


このチラシも然り。オーストラリアとトルコの国旗以外に、アゼルバイジャンと北キプロスの国旗も。
北キプロスはトルコのみが承認する独立国家。キプロスの中でも北と南で分かれていてとてもややこしい。
アゼルバイジャンはトルコの兄弟国。友好国でトルコ系の住人が多い。
そして中央にはアタテュルク。

ちなみにモスク前の標識。
英語とアラビア語、中国語、トルコ語、ベトナム語で記載がある。
今後記事にするけど、シドニーはベトナム系の住人が特に多い街でもある。

この町が面白いのは、隣にムスリムの店があるかと思いきや、急に中国系の店が増えることである。
例えば駅前。見慣れた2店舗。シドニーならどこにでもあるので、珍しさはない。ここのGong Chaなら待ち時間ゼロ。

駅下の旅行代理店。現地在住の中国系の人への旅行宣伝。

この看板だけを見て「シドニー」と答えられる人はいないと思う。
何となくNYにも近しい雰囲気。

南方なお店の横に床屋さん。床屋はレバノン系。レバノン系が床屋を開く確率が高いので、床屋を見たらレバノン系を疑う。

中国系の薬屋の横にファストフード。これぞエスニック。

どこから触れていいのか迷うほど、中国系でも細分化されているのが頭を少し混乱させてくれる(いい意味で)。

中国系の食堂も。福州や厦門などかな。でもシドニーの至るところにこういう店はあるので、珍しさはない。

トルコ系と華僑が多いことは分かったけど、街を歩く人の顔立ちを見てるとネパールやネシア、マレー、フィリピン系も多いなと思った。
ネシアやマレーはムスリムということだけど、ネパールやフィリピンは何なんだろう。家賃安いとか、何かコミュニティあるとかかな。
こういうのを見るとキリがないんだけど、とても興味深いところでもある。

まとめ

オーバーンの街を紹介した。
シドニーに訪れた日本人の99%は訪問することもないだろうし、来ることもないと思う。そもそも知らないと思う。
僕もシドニーという街を調べるまでは知らなかった。
しかし実際に訪れてみると興味深い世界が広がっており、とても面白かったのだ。
エスニックタウン巡りはこれだから止められない。エスニックタウン好きな人同士で来るとかなり楽しいと思う。

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