2018年12月 1USD=15ERN
「アフリカの北朝鮮」と言われるエリトリア。通算100ヵ国目と滞在となった。
アスマラに2泊したけども、皆さんがイメージする「国」の姿と全く異なるほど、素敵な街並みだった。
過去記事:
今回はアスマラの西側。中心部から少し離れたところを散策した様子を紹介していきたい。
戦車の墓地
アスマラに「戦車の墓地」(又は「戦車の墓場」)と呼ばれる場所がある。
英語だと”Tank Graveyard”。気になったので歩いて観に行くことにした。
アスマラは公共交通機関はバスとタクシーがある。
バスは路線を覚えれば便利だけど、本数が少ない上に激混。待つぐらいなら歩いたほうが早い。
タクシーは高いので1人だと却下。街自体が大きくはないので歩いて回れるんだけど、2,000mの高地にあることは覚えておいてほしい。水分はしっかり摂ろう。
かなり歩いたので、一種のトレーニングになったかもしれない。
戦車の墓地に向かう途中、中華レストランを見かけた。
市内に幾つか店があるようだけど、中国人を殆ど見かけなかったな。アスマラで。
隣国には大量にいるけど、エリトリアに入らないのはビジネスがしにくいということもあるだろう。色々制限があるし、外国人入れたくなさそうだから。
ウォールアート。木陰で休む行商の姿も良い。
かわいいフィアット600(改造ver)。
スバル360みたい。ちなみにこれは教習車。50年前の車が教習車、というかレトロ。凄く運転しにくそう・・・。
戦車の墓地近くに、戦没者&イタリア人墓地がある。
中には入らなかったんだけど、独立戦争時に殉死した人々が眠る場所。
外から見ても大きな墓は目立つ存在。大理石というのが凄い。中南米の墓地と似ている。
隣接してイタリア人墓地も。イタリアとの関係性がよく分かる。
少し歩くと戦車の墓地が。遠くから見ても、戦車やトラックが積み重なっている光景が見える。
これらはエチオピア軍が使っていたものとのこと。エリトリア軍が奪ったものや、エチオピア軍が撤退する際に残したもの。旧ソ連・アメリカ製など色々あるそうなので、知っている人が見れば面白いんじゃないかな。
ここの内部に行こうとしたんだけど、横に住んでいる人がいて、中に入らせてくれなかった。
居なければ中に行くことはできたんだろうけど、家の前にタクシー洗車していたから、断念。
私有地じゃないんだろうけど、変なトラブルに巻き込まれてもしょうがないので、悲しみの撤退。
ちなみに道路をショートカットしていくこともできるんだけど、糞とか多そうだし、草だらけで足元がちゃんと見えなかった(ぬかるみとか怖い)ので、正攻法で普通の道で進んだところがある。
なのでロータリー近くから赤土の道を歩いていくのが安心。
地図:
http://www.eritreaembassy-japan.org/tourism/asmara/asmara12.html
Fiat Tagliero
戦車の墓地から”Fiat Tagliero”まで向かう。
途中営業しているのか、していないか定かではないホテルが。「LION HOTEL」。場末感が半端ない。
少し大通りに出ると近代的なビルもある。ここには大使館がいくつか入っており、商業ビル。
ユニークな看板としては、この看板。あんまいないけど、ロバとか現役だからね。
アスマラは自転車社会だけど、ママチャリは初めて見た・・・。
自転車屋さん。マウンテンバイクは7,000ERN(約466USD)。誰が買うんだよ・・・。
そしてFiat Taglieroに到着。
1938年にイタリア人建築家の設計で建てられたガソリンスタンド。飛行機形をイメージしているみたい。
翼は30mあるけど、支える支柱はない。
アスマラのガイドブックによると、当時のイタリアの法律では翼部分は支柱で支えないといけなかったみたい。
それで最初は木の支柱があったけど、完成する2日前に支柱を外すことを支持。棟梁の頭に拳銃を突き付けるという中々大胆なやり方。それで完成したけど、よく壊れないものだと感じた。
今はリノベ中で営業はしていないけど、世界でも独特な建築として見ておきたい建物だと思った。
ちなみにFiat Tagliero前の円形な建物も素敵。コロッセオみたい、と思うのがイタリア要素が入っているからなんだろうな。
まとめ
アスマラの西側を散策した。その様子を簡単ながら紹介した。
個性的な見どころがあるので、散歩がてら訪れてみてほしい。
戦車の墓地はタイミングによっては入れないから、そこは留意してもらいたい。
また近くのイタリアンレストラン「Al Sicomoro」とカフェ「シネマローマ」も良いので訪れてみたいところ。